日記

内容は記事タイトルから

障害者雇用で採用されるかどうかも結局運が大きいんじゃないか

2021年の4月1日から働き始めて9か月目に入る。

友人から「さっさと辞めそう」と揶揄されることもあったが、今のところ仕事自体は順調に取り組めている。

ところで、就職した企業内では来年度に向けての採用活動が佳境を迎えていた。

私自身は採用活動に関わっていないものの、採用担当者の話や採用活動の結果を聞いた結果、「普通の就活と同じで結局障害者雇用で採用してもらえるかどうかも結局運なんだろうな」と思い至った。

なぜそう思ったのか、自身の経験や私見を元に詳細を述べていく。

筆者の経歴等

  • 2020年1月~2021年3月に掛けて精神・発達障害者向けの就労移行支援サービスを利用。1社目のインターンシップを経て内定を受ける→現在同企業1年目
  • 職種:ITエンジニア(現状はプログラムを書く実装面での仕事が多め)

入社してから変わった採用事情

勤め先は設立1年目の特例子会社であることから、現在雇われている従業員は全員が何かしらの障害を抱えている。

また、弊社では公開求人を出してはおらず、従業員を雇うために就労移行支援事業所経由で採用活動を行っており、私もそのルートで入社した身である。(なお、創業時の従業員は全員が同じ就労移行支援事業所出身だったため、全員が顔見知り)

弊社に採用されるまでは全員がインターンシップを経て、その後面接を受けるため就職活動に掛ける1社分の時間が長期に渡ることから、選ばれる側の負担は存外大きい。

 

自分が知る限りでは、大体の企業が1か所の就労移行支援事業所に通う利用者を採用するのであれば1人である場合が多いが、弊社は特殊で一気に数名を雇う。

そのため、インターンシップ参加の時点で多めに人を呼んでおり、特に今年度に関しては昨年度1か所だけに出していた求人を数か所に広めた。

よって、私が雇われた時の採用倍率は大体1.4~1.5倍とそこまで高くは無かったものの、今年度は大体2.3倍~2.5倍くらいまで跳ね上がった。

その結果、私が通っていた就労移行支援事業所から参加していた数名のインターンシップ参加者のうち今年度内定が出されたのはたったの1名になってしまった。

これで何が起きたかというと、1か所の事業所単位で見れば採用倍率が何倍にも跳ね上がってしまったのである。

タイミングが物を言う

雇われるタイミングによって難易度が左右されてしまうのは採用される側にはどうしようもない。つまり運である。

これは障害者雇用ではない一般的な雇用の場でもほぼ同じようなことが言えるだろう。

例えばかつての就職氷河期、そして昨今のコロナ禍による業績悪化からの採用控え。

他にも原因は挙げられるだろうが、全く同じ能力を持った人間を去年は雇えたけど今年は雇えないことはごく一般的なことなのだろう。世知辛い話だ。

 

正直、自分はタイミングが良かったとしか思えない。

後が無い障害者雇用希望者

適当な就労移行支援事業所の公式サイトを見てもらうと、大体が「何%の方が就職出来ています」等の実績を掲げているだろう。

だがこの数字は、事業所に入ってきた人が希望した企業に入れる確率ではないだろう。

現に私の居たところでも定着支援を受けている人(≒希望した企業に事業所経由で入れて手厚い支援を受けられている人)よりも、道半ばで辞めていく人のほうが多い。

就職率に高い数字を挙げているにも関わらずである。

というのも、一般的にこのサービスを受けて就職や転職をするためには、短くても半年~最大2年の長い期間を無収入で過ごさなければならない。

多少の作業賃が出るところもあるだろうが、多くの利用者は収入を得る手段を法的に制限されている。

そのため、順番が回ってくるまで耐え切れずに辞めて、賃金の安い単純作業系の職場に就職する人やバイト生活を始めて生活苦に陥る事態が発生する。(これらは推測だが)

実際に同僚達も「ここでダメだったら派遣に行こうと思っていた」「ITとは関係ない障害者雇用先へ行こうと思っていた」等と話していた。

 

それほぼ働きたいと思っている障害者の行く先は後が無いのである。

先述のようにたまたま運良く就職出来なければお先は真っ暗、就職出来たとしても明るい将来が保障されるとは限らない。

致し方ないとは言え、我々の行く末には厳しいものが待っていると言わざるを得ない。

おわりに

「人生って結局運じゃない?しょうがないよね」と自分に言い聞かせている。

 

一応就職しますよというお話

2019年3月末に内定辞退の末,ニート界隈を彷徨いながら2021年1月に内定を貰い明日4月1日より働くことになった.

ありがたいことなのか,退職エントリ?が少々バズったり,現在でも1日約1アクセスして頂いていることもあり,生存報告も兼ねてこの2年間なにをしていたか顛末をさらっていくことにする.

こんな人に読んでいただきたい

  • 精神障害発達障害を患っている方
    発達障害検査,精神科通院歴について語ってます
  • なんか人生うまくいかないなと思ってる方
    →こういう生き方もあるよという例になれば
  • 仕事したいんだけど,どうすれば雇ってもらえるかわからない方
    →就労移行支援制度を使った者としての体験談を書いています

2019年4月~夏頃にかけて

実は内定を貰った2018年10月以降も「もっといい会社を」と思い細々と就活を続けていた.しかしながら,箸にも棒にもかからない結果となり惨敗.

そのため,時期は忘れてしまったが,結構ギリギリな段階でやっとこさ就活エージェントを頼った.

だがこれも良い結果は残せず,いよいよ4月を迎えることになってしまった.

私生活では1月に自殺未遂をした結果,通院先に匙を投げられてしまいしばらく転院を繰り返す.

4月に入り2度か3度目の転院した先でやっとこさカウンセリングをしてもらえるところに辿り着いた.

当時は自分の生きづらさが何なのか理由を知りたくて必死だったため,発達障害を疑い検査を受けてみたいと医師に相談し,実施した.(内容については後述する)

同時期に,友人に紹介されてボランティアを始めた.紹介先は,発達障害等を持つ子供達が通う,いわゆる放課後等デイサービスである.

ここで発達障害と一口に言っても個性のレベルで千差万別であることを知った.極度に落ち着きのない子,その真逆を行く子,言語発達等にも遅れが見られる子等,語りつくせばキリがない.

年が明ける頃まで週1,2回のペースでここに通い子供達と接していた.

[閑話]発達障害検査について

発達障害検査の内容についてはあまり公開することが推奨されていないため,ざっくりとだけお話する.(QuizKnock等が一部の知能検査についてわかりやすい動画を出していたりするため,詳細はそちらをご覧いただきたい)

自分は成人向け発達障害の中でも特に有名であろうWAIS検査を受けた.(この検査によって発達障害の有無を決定することはなく,あくまで診断に使うためのツールであることをご承知いただきたい)

検査結果は一部指標でディスクレパンシーはみられるものの,発達障害とは言えないという結果だった.

しかし,自分が得意なこと・不得意なことが図表になってわかりやすく解説されていたことが非常に助かった.自分の中でのなんとなくこうだろうなと思っていた傾向が検査によってある程度裏付けられたことになる.

発達障害検査を気軽に受けてほしいとは言いづらいものの,何か生きづらさを感じていたり,苦しみを感じていたりする場合には一助になるうるものだとは思うので頭の片隅に入れておいてほしい.

2019年夏頃~2020年1月

自分の中で生きづらさにある程度片が付いた7月頃,障害者手帳を取得した.

この時期も細々と就活を続けており,アルバイト・正社員等の形態は問わずIT系の仕事を探しまくった.その結果,何度か内定を頂いたりもしたが全て断ってしまった.

というのも当時の就活は自身の障害については隠す,クローズ就労を目指していたためだ.

まだまだ世間は(精神)障害者に対して優しいとは言えない世の中において,障害者であることを明かして働くにはそれなりにリスクが伴う.まず内定率がガクっと落ちるであろうというのが私の所感である.

精神疾患には罹っていませんか?」と面接でハッキリと聞いてくる企業もあった.その一問があるだけで,当事者はここで働くことは叶わないと諦めてしまうのである.

明かさないことのメリットよりも,デメリットのほうが大分大きいことをそこで知った.

そのため障害者雇用を目指す方向転換を行い,2020年1月より就労移行支援事業所に通うことなった.

2020年1月~2021年1月

通所していた事業所はIT関係が専門のところだった.

ここで大人の発達障害や他の精神障害の方達と多少関わりを持つわけだが,一目でわかるクセの強い人(チック症状持ちや話し方にクセがある人等)から言われなければ障害を持っていることはわからない人まで多様な形態があることを知った.

通所したての頃は多少サボっていたりしたものの,次第に安定して通えるようになっていた.

そんな最中コロナ禍が日本にも襲い掛かり,毎日の通所が全てリモートになった.

最初の頃には真面目に勉強していたが,監視の目がないことをいいことに次第にサボりはじめた.(とは言っても成果物も出してはいたし全くなにもしていないわけではない)

6月か7月頃だろうか,インターンシップの話が舞い込んだ.だがインターン先も慣れないリモート環境下であったためか話が延びに延び,最終的に別のインターン先に11月から通うことになった.(ここが明日から働く内定先になった)

インターンシップもリモートだったため,適度にサボりながらやることをこなしていたら面接を受けて内定を貰えた.

2021年1月~現在

「(やることもないので)資格試験の勉強をしてます」と面接で言ってしまったことと,なにかしらモチベーションがないと気が緩むなと思い,応用情報技術者の勉強を始めた.

ただ内定を貰えて完全に気が緩んだのか,そんなにモチベーションが上がらなかったためか,現時点であまり勉強は捗っていない.(落ちても当然ぐらいのモチベーションの低さである)

まとめ

さて,2年ほどなにかをしているのかしていないのか微妙な期間があったわけだが,一応明日から社会人生活がスタートする.

私からお伝えしたことは以下の通り

  • 新卒偏重の社会だけど,そこから外れてもやり方はいくらでもあるよ
    →端から見てると病んでる人は結構居る.今の環境にしがみつきたい人も居るけど,メンタルが完全にやられると這い上がるのか一層難しくなるからそうなる前にどうにかしよう.(どうにかなった立場だから言えるけど,別にどうとでもなる) 
  • 受け身で居ても誰も助けてくれないので,自分である程度動く必要はあるよ
    →日本は結構セーフティネットが充実しているとは思う.だが向こうから近づいてきてくれることは少ない.(失業給付金に障害年金生活保護等と生き方はいくらでもある.明日生きることだけを考えよう)
  • 社会との繋がりは非常に大切なので,独りになる前に誰かを頼ろう
    →独りぼっちだと嘆く人にも,誰か一人くらいは頼ってもいい人がいるんじゃないかと思う,その人を頼ってほしい.死ぬよりはマシ.(本当に居ないと思うなら行政を頼ろう.ソーシャルワーカーとか調べればいっぱい居るので)
  • 社会不適合者がなんか言ってるよwww
    →笑えるうちが花だと思え.こっち側にはなるべく来るなよ.大変だから.

コロナ禍の影響もあり,自殺者が増加していたり,メンタルがやられてしまう人も増えているという情報を耳にしたりする.

身体的な病気とは違い,精神的な病気等は一度なってしまうと元に戻るということは非常に難しい.かれこれ人生の半分以上付き合っている身としては人生をやり直したいレベルだ.(診断書を見たら推定発症時期が中学生の頃でびっくりした.確かに不登校ではあったけど)

ただ,死ぬこと以外は掠り傷だと思うので手遅れだと思わず,本当に辛かったら精神科等に駆け込んでいい.(アメリカみたいにもっと気軽に頼っていいと非常に強く思う)

 

とりあえずこいつすぐ辞めんだろwwwと友人達から野次られてるので,見返してやろうと思う.(とりあえずゴールデンウィークを乗り越えることから)

[退職エントリ?]メンヘラが新卒内定を入社数日前に辞退した話

入社まであと4日だった高専専攻科生が内定先を蹴りニートになる話です.

プロフィール

事の顛末

概要

  • 内定者研修を受けたらことごとく自分に合わないことがわかり辞退を決意した
  • 去年3月から就活をしていたが内定はここだけだった

詳細

 つい先日,入社前最後の内定者研修を受けてきた.時間はAM9:00~PM5:30と
入社後の勤務時間と同じ.そもそもこの研修,10月から月1で実施されているが
無給で交通費もなくすべて自腹である.1度昼飯を奢ってもらったくらいだろうか.
第一の違和感がこれである.が,これだけではグレーゾーンなので疑問は持ちつつも
参加していた.

 11月に内定をもらったので2回目の研修から参加した.会社設立の経緯やらNASAゲームやらはまぁどうでもいい(非常につまらんし,グループワークに効果はあるのかは疑問)
午後に入って,実際に業務で使うソフトウェア(WinAct●r)を触ってみようと
PCが用意された.ログイン方法やらなんやらが指示されてそれに従って自分はパパっと
操作をしていく.だがおかしい,周りの同期が誰一人ログインすらできないではないか?
その時の同期は他に5人くらいで4人は文系ということだった.
文系という未知と高専生が遭遇したわけだが,世の中的にはこんなもんなのだろうか.
(PCもまともに使えないのに卒論どうやって書いたんだよ)

文系理系という括りは意識せず15歳からやってきたわけだが,育ってきた環境が大きく
異なるとこうも違うのかというのが素直な感想だった.
これを受けなればスタートダッシュに遅れてしまう!!...というわけでもないと感じた
ので,次からの研修はサボりまくった.(OSI参照モデルとかいつぶりだったかな…)

閑話

 年が明けて1月に入ったが,年始早々胃腸炎で倒れてしまった.
時期的に成果をまとめて発表しないといけない,先延ばしする性格だったので
ここで終わらせないとまずいという意識が働いた.1週間程度で回復したが,その後も
体調不良が続いた.といっても,よりひどい体調不良をずっと経験してきたので何のこと
はなかった.だが,筆が進まない.卒論が書けない.研究も進捗が出ない.まずい…

そして緊張の糸が途切れたのは1月末,既に遅れまくっていたスケージュールを察し
睡眠薬を過量服用した(といっても20錠程度なのでそこまでひどくはないと思う).
生きるか死ぬかのギャンブル感覚だったわけだが,翌朝普通に目は覚めてしまった.
しかし,身体が異常に重い.なんとか自分で救急車を呼び搬送された.
こういうときは自動的に警察も呼ばれるらしい.ぼやぼやとした意識の中で
なんとか警察官やら救命士・医師と会話した.特に治療されることはなく帰宅した.
帰りのタクシーの中,私は指導教員にもう無理ですと連絡をした.

それからしばらく経ってのこと,皆が卒研発表をする中で自分だけ別日に
発表をすることになった.その当日を迎えたわけだが,最後まで成果が出せなかった.
空欄のあるスライドがなんと恥ずかしいことか.それでも条件付きで合格をくれた.
その後またスケジュール遅れでまともに添削もしないまま卒論を提出したが,
指導教員はなんとか修正をして受理してくれた.頭が上がらない.

本題に戻る

卒研がひと段落して,研究室内のネットワークサーバーにGitlabを構築したわけだが
関係ないので省略する(やったことがないので結構大変だった).
それが終わってまた研修に参加した.社内総会で内定証書の授与をされた.
私の紹介をした複数名の誰一人も高専をまともに言えなかったがまぁそこはいい.
その後の総会終了まで席に座って内容をウトウトしながら聞いていた.
出てくるスライドが雑なものばかりで閉口したがまぁまぁそこは問題じゃないんだ.
総会も終わってさぁ帰ろうとしたとき,人事・採用担当の女性Aが研修担当の女性Bを
遮って自分たちを引き留めて叱責した.
「挨拶もないのか」内容はそんな感じだった.えっそんなことで???というのが
正直な感想である.ここでまた会社に対する疑問符と,女性Aに対する嫌悪感が湧いた
が,そのまま帰宅した.

内定辞退を決意した入社前の最終研修日がやってきた.
いつも通り女性Bが研修内容の説明をするが,そこに件の女性Aが登場した.
また例の挨拶の話で,自分は実にくだらない話だと思い話半分に聞いていた.
というかピーというノイズが気になって仕方なかった.
その発生源を話を聞く中で目で探していたのである.
(そのあと振り返ってみたが,どうも自分はそういう多動癖があるらしい)

そのとき「バンッ!」と轟音が室内に響き渡った.驚いてそちらに目を向ける.
「こっちが話してんのにどこ向いてんだ」怒号が響き渡る.
高まる心拍を気にかけながら,あくまで平静を装い頭を下げた.
ごめんね,興味がなかったんだ.

そのあと他己紹介ということで,インタビューをしつつされつつ相手のことを登壇し
紹介することになった.相手は普通の文系大学生,しかし高専生には未知の生物である.
とりあえず,基本的なことを聞いた.私が一番興味があったのは彼らの生態である.
何を学び得たかである.それを中心に聞いた.だが返答は「よくわからない」だった.
受けた授業すらまともに言えない・バイト三昧ではない,サークルも入っていない.
彼が日々なにをしてきたか全然わからなかったが規定時間が終わってしまった.

続いて私が質問を受ける側になった.自分は大学へ通っていないという彼らと
最大の違いをネタに話を進めようとした.学校名がやたらと面倒なのがネタのひとつ
である.口で説明するより学校名を書いたほうが手っ取り早い.手元の手帳に大きな
文字で学校名を書こうとした瞬間...「あ~よくわかんないからいいよ」と話を遮られた.
まぁいいか...話を続けた.バンドでベースをやってたことを話した.
そのあと音楽のことを聴かれるわけだが,音楽というのも実に厄介で相手のバックボーン
(何を聞いてるのか等)を知らないと全然話が進まないのである(大概あぁそうで終わる).
大衆ならば知っているだろうと思ってエレカシをやってると言った.
なんとか理解してもらえた.そういえばエピソードが必須なのを思い出した.

学校関連のことを思い出した.
あれ作ったな・あんな実習やったな・研究大変だったな…たくさんでてきた.
でも問題があった,相手がこれを理解できるかということである.
相手は何度も技術的な研修を受けてきたのに内容が全然頭に入っていないような人物.
高専という名を出されても「パソコンの専門学校なんだね!わからなかったことが
あったら聞いていい???」というような未知の生物だ.
説明したところで話を遮られるだろうという予感が走った.この話はやめだ.
適当にバイトのことでも話そうとバイト経験を話した.といっても数年前のことで
興味関心は薄い,まったく覚えていないので話は膨らまなかった.

発表の時間がやってきた.消極的な彼らは誰も登壇しようとしない.
こういうのはトップバッターが一番ハードルが低いので自分が登壇した.
数少ない情報をなんとか1分間に膨らませようとしたが時間が余った.どうしようもない.
結果は最下位だった.研修担当も「こういうコミュ障なエンジニアはたくさんいるけど
みんな頑張ってね(超絶ねじ曲がった意訳)」と言う始末だ.
心の中で泣き笑いが止まらなかった.
同期はみんな大概コミュ障だなと思ってたのが自分はレベルが違うらしい.

そのあとまたグループワークの時間がやってきたが,これもどうでもいいので省略する.
その次は【成功体験(修羅場体験)・「らしさ,強み」セッション】というものだった.
自分の人生を振り返ってみたが,とても他人に話せるものではなかった.
修羅場は山のようにあるのだが確実に周りが引くような話ばかりだ.
ある者はこのセッションの疑問を口にし,またある者は突然泣き出した.
あっここにもメンヘラがいると気付いた瞬間だ.このセッションは中止になった.

PM3:00の休憩が入る.私はここで研修担当に詫びを入れスマホを手にして研修室を
飛び出た.電話を掛けた先は前の通院先,ちょうど次の通院先へ引き継ぐ途中で
そこでの治療は終了したはずだった. だが次の予約は大分先,この狂いそうなメンタルをどうにかするには
あまりにも遠すぎる.そこで前の通院先で診断書を書いてもらってこれを
理由に内定辞退を宣言しようと多動の頭が必死に考えて導きだした結論だった.
震える手を抑えながらなんとか通話する.幸い予約は取れて診断書も書いて
もらえそうだった.だがこの努力は後に水泡に帰すが話を先に進めよう.

少し遅れて部屋に戻って書類を受け取る.前からいつもらえるのだろうかと
気になっていた雇用契約書を読んだ.あれ…?基本給が違うぞ.スマホ
自社サイトの採用情報を見て察した.自分は大卒ではなく高専卒の扱いなのだと.
わざわざ心を病んでまで進学した2年間はなんなんだろうという気持ちだった.

そして最後の最後にトドメを刺された.
女性B「入社後最初の土曜日に花見で一芸を披露してもらいます」
絶望が頭に浮かぶ.自分に芸はない・そんなことで人前に出たくない
同期も嫌々案を出す.決まったのは羽子板大会だった.
すべて自腹での開催である.最後に浮かんだ疑問がこれだった.

積もり積もった疑問が内定辞退の背を押す.
帰り際,研究担当の女性Bを呼び止めて内定辞退を申し出ようとした.
研修で泣いていた同期が先に話し込んでいたため,私は会社を出た.
駅へ向かう道中で会社に電話を掛ける.女性Bに言いたいことがあると申し出て,
道中で待ち合わせて話し合うことになった.

「内定を辞退させてほしい」

私は今日の研修を受けて,基本給に納得できない・病気が悪化して治療が必要になった・
1日8時間働くのは無理だということを彼女に説明した.
女性Aのパワハラに耐えかねてとか,俺より高給取りのくせに無能な同期がいるのは
無理だとかいうのは心の中で仕舞っておいた.

遺留はあったものの,診断書が発行されたほうが辞退はしやすいとのことだった.
先手は生かされた.研修担当と別れて電車に乗り込む.朦朧としていたので
逆方向のホームに来てしまった.まぁ次で引き返せばいいかと目の前の電車に飛び乗って
次駅で降りたらまぁまぁ待つことになったのだがそれは別の話.

帰りの車中,メンタルのことで度々相談していた友人に「多動ってどんな感じ?」と
LINEをした.その症状がガッチリ当てはまった.断薬による離脱症状かもしれないとも
指摘された.調べてみたらこれも当てはまりそうだ.
今日の高ストレス下のメンタル不調はこれが原因かと納得できた.

明朝,女性Aから電話が掛かってきて,内定辞退を承諾された.(…診断書要らんのかい)

「病気のことを面接であなたに話したのに研修担当に伝わってないのはどうして?」
(前日の話し合いを知った)という質問に対する返答は「特別配慮は必要ないと思ってた」
とのことだった.
メンタルヘルス教育受けている人がこのザマかとか,知っててパワハラしたのかと
かいろいろ思い浮かんだが終わったことなのでどうでもよかった.

そしてこのエントリを書いている.明日からどうしようか.そういえばリクルーターから電話来ないなぁ.

終わりに

元からプライドの高いメンヘラだった中で3月まで就活してきましたが,
退路を断たれた形なので4月からニートです.クローズ就労の難しさを痛感しました.
就労移行支援とか使わないと無理かなって感じがするので,
近いうちにソーシャルワーカーとかに相談しますかね.

離脱症状で記憶力の低下が激しいと思ってたんですが,案外スラスラ書けて驚きました.
今朝の朝食も覚えてないのに.

皆さんも心を病まないようにお気をつけください.